原爆でひいじいちゃんとひいばあちゃんが死んだ

原爆, 広島

知ってほしい。

今日は広島の原爆の日

記事を書いているきっかけについて、少し。

今日は広島の原爆の日です。

ぼくは広島出身で、高校生までを広島県で過ごしました。

 

広島県では8:15にサイレンが鳴る

広島県では、原爆投下の時刻である8:15に合わせて、サイレンが鳴ります。

通勤中に立ち止まって黙とうする人もいれば、
電車の中や職場のデスクなどで黙とうしたり、
当時のぼくは部活の朝練を中断して黙とうしていました。

ですが、大学生になって関西に引っ越してみると、8:15のサイレンは鳴りませんでした。

社会人になって関東に来てからも、どうやらサイレンは鳴らないことに気づきました。

 

それで「原爆に対する感覚の違い」のようなものを感じて、

記事を書いています。

 

死んだひいじいちゃんとひいばあちゃんについて

原爆がどうヤバいか、って話をしても今さら感はあるのですが、

ある意味で当事者なので、そのへんを書いてみます。

ぼくのひいじいちゃんとひいばあちゃんは、原爆で死にました。

正確には、原爆で即死したのではなく、その時のやけどで死んだらしいです。

自宅があったのは「竹原」という地域なのですが、8月6日はたまたま広島に出かけていて、

電車の中で被爆しました。

原爆で広島市は壊滅し、家に帰ろうにも電車なんて動いていません。

1965年にはケータイはないので、家族に連絡を取る手段もありません。

できることはひとつだけ。

広島から竹原まで、歩いて帰るしかない

8月の炎天下の中、やけどでボロボロの体で数日がかりで帰ったそうです。

 

でももう家に着いた頃には、「暑い」「水をくれ」しか言えないくらい状況は悪化していて、

食べ物はスイカしか喉を通らなくて

でも下痢になって出てしまって。

ぼくのばあちゃんも、横になったままの両親をうちわで仰ぐことしかできませんでした。

その状態でも”生きて”はいたのですが、長くはなかったらしいです。

 

伝えたいこと

会社の人に「今日が原爆の日」って話をしても、

原爆投下時刻の8:15を知らないし、言われないと8月6日が原爆の日だと気づいていない様子でした。

そんなもんなんやな、って思いました。

 

ただ知ってほしいんですよね。

75年も経って、薄れてしまった過去の出来事を。

 

急に偉そうな持論(いつもか!笑)になりますが、

過去を振り返るのは、自分または他人の過去の経験を未来に活かすためだと思っています。

 

些細なものでも、知識は必ずいつかの判断材料になると思うし、

原爆は決して風化させてはいけない、全人類の経験だと思うので、

ばあちゃんの経験を知っている身として、知ってほしくて書きました。

 

最後に

次は8月9日長崎の原爆の日なのだけど、

え、何時だっけ、11時45分だよね、、、?

(Google検索…)

うわ、、11時02分でした。

そう、知らないんよね。

ピンと来ないんよ。

読んでる人もこんな感じなんじゃないかと思うんです。

 

それが少しでも身近に感じてもらえれば、

同じ日本に住む人間として、何か感じてもらえれば、

この記事にも、そしてばあちゃんの話にも、

意味があるのかなと思います。

 

おもしろくはない記事になってしまったけど、まぁこんなところで。

ここまで読んでくれてありがとうございました。